にっぽんの宝物JAPAN大会

にっぽんの宝物グランプリJAPAN大会を終えて

先日開催されたにっぽんの宝物JAPAN大会へ出場してきました!!

大会のアーカイブはコチラから→https://www.youtube.com/watch?v=z5y-X1ouGu4&t=7900s

私たちの登場は

・プレゼン開始:2:11:35
・授賞式:5:49:46

今回は、前回の世界大会チャンピオンで浜ののりだれを生み出した七ヶ浜・カフェレストランSEASAWさんとコラボし、「1/3革命 牡蠣と海苔奇跡一皿」というコラボ商品セットで挑戦させていただきました。私たちFISHERMAN’S KITCHENは、初めての出場でした。本当に熱く夢中になれた2日間でした。

この日のために久保田さんや仲間と磨き上げた経験は、自分にとって何にも代えがたい宝物になりました。長文になりますが、大会の振り返りとともに、今この挑戦で学び、感じたことを書き留めたいと思いました。いつもは一部AIに頼る部分もあるのですが、あえてつたない自分の言葉で綴ろうと思います。

 

予選からJAPAN大会まで

にっぽんの宝物グランプリは、地域に眠る“宝物”を世界レベルのブランドへ育てるための全国大会。JAPAN大会は、各地域の予選を勝ち上がったものが集い、競い合う全国大会です。

宮城県は事務局がまだないため、私たちは1/16に行われたオンライン大会からエントリーし、準グランプリを頂き、JAPAN大会への切符を手にしました。

予選からJAPAN大会までの期間、久保田さんとはとことん話し合い、お互いの意見をぶつけ、研磨する作業を何度も何度も行いました。プレゼン原稿を書いては消し、出来上がって読んでは「違う」となり、0から作り直したり、ビジターセンターをお借りして本番を想定しながら録画し、いろんな方に意見をもらい、ダメ出しを頂いて台本やパワポを修正したりしました。

正直、予選の直前に漁業との両立に悩み、途中で「辞退しようかな」という気持ちになったこともありました。妻に相談した電話口でこう言われました。

「気持ちはわかるし、いつもは止めないけど、私はこの挑戦をあきらめるべきじゃないと思う。あなたが大事にしているものを崩さずに、自信をもってやればきっとうまくいく。」

この言葉をもらった時、自分の中のモヤモヤが消えました。この挑戦が“チャンピオンの久保田さんについていく挑戦”ではなく、“自分の挑戦”に変わった瞬間でした。

脱サラして漁師になってからブランドを立ち上げ、少しずつではあるけれど自分で決断し、新東北みやげコンテストに出て最優秀賞をいただいたり、新商品の開発にもチャレンジしてきました。

かつて人と比べ、人のために、人の顔色を伺いながら仕事をしていた自分。心のどこかで久保田さんと自分を比べ、劣等感を抱き、自信をなくしかけていた自分に気付きました。

大事なのは、相手を尊重し、自分の価値観をしっかり伝え、共創することで新たな価値が生まれるということなのだとわかった気がしました。そう気づいたとき、全ては自分次第なのだと思えました。見える景色も、やる気も、楽しさも変わる。

 

JAPAN大会までの期間は本当にあっという間に過ぎました。

 

佐藤シェフと試食メニューを何度も試作し、SEASAWさんに集まり、チーム全員で試食。味はもちろん、お盆や箸、器選び、見せ方や演出まで、夜遅くまで磨き上げの作業を行いました。

プレゼンのプロの先生にお力添えを頂き、前日までプレゼン内容をブラッシュアップしました。

 

大会当日

大会当日、会場には全国から予選を勝ち抜いたツワモノたちが揃いました。

初めての出場でしたが、にっぽんの宝物グランプリのステージや演出は本当にすごいです。運営されている宝物社の事業者さんに対する敬意とリスペクトをとても感じました。運営スタッフの皆さまに改めて感謝申し上げます。

われわれ漁師は、当たり前ですが普段あんな華やかな場所に立つことはありません。「主人公になれる機会をいただいているんだ」と感じ、緊張とアドレナリンが込み上げました。

第一会場でオープニングを終え、私たちが発表する第二会場へ急いで移動し、早速準備に取りかかりました。

別行動ですでに会場入りし、準備を進めてくれていた佐藤シェフとSEASAWの真子さん。料理のプロが2人もチームにいることは、何よりも心強い。銀鮭漁で鍛えられた広背筋で大きく見える佐藤シェフの背中が、いつもよりさらに大きく頼もしく見えました。

 

刻々と迫る出番。何度も練習したはずなのに、緊張で言葉が出てこなくなる事態…。場数が足りません。それでも今までの道のりを信じて本番に挑みました。

オープニングの一分動画が流れ、チーム5人で登壇。2分のプレゼンは私です。途中、言葉が出なくなったり噛んだりしましたが、本当に伝えたいという気持ちは皆さんに伝えられたと思っています。

次の試食は佐藤シェフの出番。

私の牡蠣酒蒸しと久保田さんの牡蠣専用海苔ソースの良さを最大限に引き出し、最高の形で審査員の皆さんに味わっていただけるよう、真剣に向き合ってくれました。

緊張している私とは裏腹に、終始冷静で、とても落ち着いた説明でした。

持つべきものは、料理人の同級生ですね。

最後は、久保田さん。

昨年、久保田さんと一緒に戦った八丈島の仲間が被災しました。

私たちが経験した東日本大震災の後も、災害の多い日本は、幾度となく自然災害に見舞われています。そのたびに、多くの方が傷つき、悲しみ、苦しみます。

災害は決して肯定できるものではありません。

それでも私たち日本人は、災害が起きるたびに立ち上がり、何度も何度も立ち上がってきました。悲しみを乗り越え、互いに手を取りながら、新しいクリエイティブを生み出し、再生してきました。

「災害大国日本は、再生大国日本である。」

そのメッセージを、被災から15年目を迎える東北の私たちから世界へ。

心に響くファイナル15でした。


結果は、準グランプリでした。

正直、めちゃくちゃ悔しいです。

チーム全員が最後の最後まで、できることをすべてやり、全員で磨き上げてきました。だからこそ、やっぱり悔しい。

でも、この準グランプリは、私にとってかけがいのない準グランプリだと胸を張って言えます。

 

 

最終日は、各部門でグランプリを獲得した事業者さんの頂点を決めるグランドグランプリでした。

最終日は、各部門でグランプリを獲得した事業者さんの頂点を決めるグランドグランプリでした。

グランドグランプリは、戎はるさめ(奈良食品株式会社 戎はるさめ本舗)さん。

奈良の地で、はるさめ一筋。

素材と製法に真摯に向き合い続けてきた、素晴らしい事業者さんです。国産のはるさめ、しかもお芋のはるさめ。審査員の評価もとても高く、その真摯に向き合う姿勢がご夫婦の人柄にも表れていました。

本当におめでとうございます。

最後は、メイン会場のステージでチーム全員で記念撮影。

共に戦い、高め合い、一緒に挑戦できたことを誇りに思います。

久保田さん、真子さん、SEASAWの皆さん、本当に、本当にありがとうございました。

涙腺が崩壊しました。久保田さんがいなかったら絶対にここまでこれませんでした。いつも気遣いと情熱を注いでくださり本当にありがとうございました。

 

私の中で起きた変化

振り返れば、あっという間に過ぎ去ったにっぽんの宝物グランプリへの挑戦。

本当に挑戦してよかった。

成長できた挑戦だったと思います。

震災から15年。当時、東京で広告の営業マンをしていた25歳の私は、今、漁師として地元宮城県南三陸町へ戻り暮らしています。

5年前にUターンし、日本初の国際認証を取得し、天皇杯を受賞した「戸倉っこかき」の価値が適切に世の中へ伝わっていないことに疑問と悔しさを感じました。そして1年半前、その魅力を発信しようと加工品を作り、FISHERMAN’S KITCHENというブランドを立ち上げました。

同級生の佐藤シェフに協力を仰ぎ、時間をかけて完成させた「まるごと牡蠣ソース」で第11回新東北みやげコンテスト最優秀賞をいただき、その舞台で前年度最優秀賞の久保田さんと出会いました。

この出会いがきっかけとなり、今度は全国へ挑戦するにっぽんの宝物グランプリという機会を頂きました。挑戦できたことに本当に感謝しています。


その挑戦の過程で、視点が変わりました。

私が生産する戸倉っこかきは、震災後、養殖密度を1/3にしました。今までは、その「減らす」こと自体に価値があると思っていました。

しかし、久保田さんやプレゼンをご指導いただいた市川さんとの対話を通じ、磨き上げていく過程で、減らしたことが本質ではなく、減らしたことで生まれた「2/3の余白」にこそ価値があるのだと気付きました。

それは単に養殖の方法論にとどまらず、私の生き方で大事にしたいこと、つまり志なのだと感じました。

かつて、オーバーワークで鬱を発症した私は、心の余白を求めてふるさと南三陸町の海に辿り着きました。そして自然と共に生きる中で、自分にとって本当の豊かさとは何かを考えるようになりました。

私にとっての豊かさとは、効率や生産性をただ追い求めることではなく、家族との時間。つまり“余白を持つこと”でした。

震災前の過密状態の海は、本来1年で育つはずの牡蠣が3年かかるほど疲弊していました。海も、人も、余白があるからこそ循環し、健康に育つのだと感じました。

健康な体は生産性を上げる。つまり、循環と効率は同時に成立させることができるのだと。

それを証明してくれたのが南三陸町の海であり、震災から立ち上がり、未来へ繋ぐ養殖方法を選んでくれた戸倉の漁師の先輩たちです。

震災から15年。すでに中学3年生以下の子どもたちは震災をリアルに知らない世代です。

私自身も当時、海の復興に直接携わっておらず、本当の辛さを経験していません。だからこそ、Uターンして漁師になった時から、どこか後ろめたさのようなものを抱えていました。

でも、しっかり向き合うことで、これからの未来には、過去と真剣に向き合い、自分の言葉で語れるくらい調べ、理解し、次の世代へ繋いでいく語り手が必要になるのだと思います。

そんな存在になれたら、もっと長い時間軸での好循環が生まれるのかもしれません。

背伸びせず、等身大の自分でできることを考え、これからも成長していきます。

ここからがスタートです!

最後になりますが、本当にたくさんのご協力や応援をいただき、今回にっぽんの宝物へ挑戦することができました。心より感謝申し上げます。

 

 

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